音楽プロデューサー
Oh!Be
大羽義光 YOSHIMITSU OHBA
1966年3月22日生まれ
東京に生まれ母親がシャンソン歌手(桐朋学園声楽科)叔父に賛美歌作曲者Ugo Nakadaをもち、幼少の頃から音楽の中で育つ。
中学生の頃バンド活動を初めいくつものバンドを渡り歩く傍ら作曲活動を始める。ギター、ベースなどの楽器をこなす傍らシンセサイザーに興味を持ち出しKORG MS20 などのアナログシンセふれだす。15歳を皮切りに音楽製作にのめり込み当時のテクノポップを自分のスタイルに取り入れ作品を作り出す。ULTRAVOX DEPECHE MODEなど影響を受けたのもこの頃1982年運命に背中を押され日本ポップスの第一人者である筒美京平氏と出会い自分の将来を決断しコンポーザーの道を歩き始める。筒美氏のスタッフとしてデモ制作を手伝う傍ら田辺エージェンシーにも出入りして積極的に曲の売り込み作家としての活動を開始。その頃に音楽業界のシステム流れなどを独自の見解で学び後の活動に生かし、1985年武者修行にためNYへ。CM音楽レコーディングスタイルを学び翌年帰国、長渕剛やCHEGE&ASUKAのプロデューサーである山里剛氏にデモテープが気に入られ故中川勝彦(当時のワーナーパイオニア)のデモ制作に参加後にその時の曲で作家デビューとなる。
1986年プロデューサーベーシスト吉田建氏より沢田研二のアルバム曲を依頼されこの年、麻田華子や渡辺プロのアーティストの曲を作り、20歳の作家デビューである。この年に日音の故村上氏と出会い黒沢光義の楽曲を手がけ、アルバムのほとんどをアレンジャー井上日徳と共にプロデュースする。
1987年TBSドラマ俺たちの時代の主題歌TryAgainがスマッシュヒットし、荻野目洋子や金子美香、相楽晴子、鈴木トオルなどに楽曲提供し作家活動を広げ、自らのマネージメント(有)CUEを建ち上げ、その幅を音楽業界のみならず企業CMやイメージソングのプロデュース、群馬テレビ開局25周年時代劇ドラマの音楽まで幅広く手がけ日音の中平氏と共に新人開発チームを創るタレントの加藤紀子などの発掘をする。翌年に筒美氏の作る制作ユニットSillcon Grooveに参加。JAJA(VAP)などに楽曲提供この頃からブラックミュージックに興味を持ちは始めるが、2年間の活動ののち思い立って日本での活動を休止。自分探しのため単身オーストラリアに渡り、レゲーバンドを組みクラブでのライブ活動に勤しむ。その後4年間に渡り在豪生活しプライムTVtやNRTVのCM音楽を手がけて、1994年に帰国。音楽プロデューサーAchillesDamigosと出会い翌年Face2fAKEを結成する。
若くして質の高い様々なスタジオワーク、セッションによって培われたバックボーンは、アカデミックで精密な要素と肉体的なフィーリングといったプリミティブな音楽性を両方を持ち合わせているプロデューサーである。