音楽プロデューサー
Achilles Damigos アキレス・ダミゴス
1968年3月5日生まれ
父ギリシャ人、母日本人、ギリシャのアテネで生まれ育ち10才で日本に移住。13才の時、妹がピアノを習い始めた際ピアノを自分の部屋に置く事になった事がきっかけで独学で始める。
中学時代からバンドでキーボードプレイを始め、高校に入学後初めてKORG-Polysix(シンセサイザー)をアルバイトで購入。 自分のバンドでオリジナル楽曲を作りライブをこなしながら、先輩や知人のバンドを幾つも掛け持った。
本格的に音楽を勉強するため尚美音楽大学の作曲科へ入学。現代音楽を専攻し、諸井誠、大村哲也のもとで専門的に作、編曲法を学ぶ。NYで活躍するDJ Gomiとは大学時代同級生。
キャンパスに通いながら、高校生時代共にセッションしていたベーシストMichael McglynnとBrand New Colorを結成。当時に制作していたデモテープが音楽業界に渡ったことを切っ掛けに、CBS SonyのSDオーディションを経てヴォーカル、作、編曲の中心メン
バーとして19歳で早くもメジャーデビュー。プロへの活動のために音大を中退。
ファースト・アルバムのレコーディングには笹路正則、松本晃彦らを中心とした日本のトップ・クラスのスタジオ・ミュージシャンとセッションを行う。
同世代の作、編曲家として親しい関係であった井上能正にBrand New Colorのアルバムには楽曲提供で参加。
Brand New Colorの解散後、 同レーベールのマリーンに初の楽曲提供し、作曲家、アレンジャー、キーボード・プレイヤーとしての道を切り開く。その後は松田聖子や石田ひかり等、ヒットシンガーに楽曲数々提供し、若くして躍進する。
1990年ヴァージン・ジャパンの第一弾のアーティストであった有近真澄をLondonにて手掛け、財津和夫や柳ジョージ等、数々のアレンジも担当する。1991年の秋、TAXIレーベルのクリスマス・アルバムをスライ&ロビーとN.Yでコラボレーション。その才能は、矢野誠や元Happy Endの鈴木茂らにもかわれ、共にスタジオ・ワークこなす。1994、ギタリストの原田喧太のファースト・アルバムを初めて全面プロデュースし、L.Aにてレコーディング。その原田喧太を通じてOh!Beと出会い、翌年の1995年にトータル・プロデュースを試みるユニット、Face2fakeを結成。
その後には俳優のジョン・ローンの舞台音楽を手掛け、1996年ジャズ界の大御所サックス・プレーヤー本多敏之のアルバム制作・プロデュースとライブ・ツアーにも参加。Face 2 fAKEの活動と平行して1997年からFavorite Blueのアレンジやリミックス、ライブ・ツアーにバンド・リーダーとして参加。テレビ・ドラマでは、NTVフード・ファイト、FACEのサウンド.トラックを担当。中西圭三、trf、move、中村俊介等のアレンジやリミックスも手掛けながら、徐々にFace 2 fAKEとしてのプロデューサー活動一本にシフトして行き今日に至る。
あらゆるジャンルに精通し、R&B、Hiphop、Jazz、Funk、Soul、からA.O.R.やRock、Popsと、さらにはClassicや現代音楽まで、そのスキル幅は相当に広く、柔軟で個性的な音楽性を持つ。特にBlack Contemporary、R&BにおけるBeat Arrange、そのトラックメイキングは緻密さも含め日本人離れしたグローバルに十分通用するセンスを持ち合わせている。
生楽器にも精通していることから、フル・オーケストレーションやスコアリング、コンダクトも全てやってのける。若くして質の高い様々なスタジオワーク、セッションによって培われたバックボーンによって、アカデミックで精密な要素と肉体的なフィーリングといったプリミティブな音楽性を両方を持ち合わせているプロデューサーである。